お知らせ

9月11日 蓮淳忌法要のご案内


9月11日のお逮夜法要は「蓮淳忌法要」としてお勤めします

蓮如上人の六男であり、「顕証寺」の寺号や久宝寺寺内町の歴史に深く関わった
蓮淳(れんじゅん)師を偲ぶ法要です。

蓮淳忌法要

令和8年9月11日(金) 午後2時より

久宝寺御坊 顕証寺 本堂


どなたでもご自由にお参りいただけます。
事前のお申し込みは必要ありません。

いま私たちが「顕証寺」と呼んでいるこのお寺。

その歴史を受け継ぎ、戦乱の時代に寺を再興し、久宝寺のまちの形成にも深く関わったのが、蓮如上人の六男・蓮淳師です。
9月11日は、顕証寺と久宝寺に大きな足跡を残した蓮淳師を偲び、その歩みに思いを寄せながら、ともに仏さまのみ教えを聞かせていただきます。

蓮淳師とは

蓮淳師は、寛正5年(1464)に生まれた本願寺第8代宗主・蓮如上人の六男です。

蓮如上人の没後は、兄の第9代宗主実如上人、孫の第10代宗主証如上人を支え、本願寺教団において重要な役割を担いました。
そして、その生涯と深く結びついている場所の一つが、ここ河内・久宝寺です。

「顕証寺」という名を残した蓮淳師

顕証寺の歴史は、蓮如上人が久宝寺を訪れ、親鸞聖人のみ教えを伝えられたことに始まります。

その教えを聞こうと多くの人々が集まり、その盛況ぶりは「帰する者、市の如し」と伝えられるほどであったといいます。
その後、現在の顕証寺の前身となる西証寺が建立されました。

西証寺から「顕証寺」へ

蓮淳師の代に、西証寺は「顕証寺」と改められました。
私たちが今も「顕証寺」と呼んでいるその寺号は、蓮淳師の時代から受け継がれています。

天文年間の争乱では建物が被害を受けましたが、その後、蓮淳師によって再建が進められました。
現在の建物そのものは後世に再建されたものですが、この地で顕証寺の歩みを再びつなぎ、今日へと伝える礎を築いた人物の一人が蓮淳師です。

久宝寺寺内町にも残る蓮淳師の時代

蓮如上人の志を受け継いだ顕証寺(西証寺)初代・実順(じつじゅん)師や蓮淳師の時代、顕証寺を中心として久宝寺寺内町が整えられていきました。
寺内町とは、寺院を中心として形成された町のことです。
現在も顕証寺の周囲には、碁盤の目のような道筋や伝統的な町並みが残り、寺内町として栄えた当時の面影を見ることができます。
普段何気なく歩いている久宝寺の町にも、およそ500年前の歴史が息づいています。

顕証寺に伝わる「蓮淳師御度牒」

顕証寺には、蓮淳師に直接ゆかりのある大切な法宝物が伝えられています。
その一つが、「蓮淳師御度牒(れんじゅんしおどちょう)」です。
文明11年(1479)12月30日、蓮如上人が蓮淳師に「実名兼誉」「法名蓮淳」「仮名三位」を授けられました。
蓮如上人の御真筆と伝えられ、500年以上の時を越えて、蓮如上人と蓮淳師、そして顕証寺とのつながりを現在へ伝える大切な法宝物です。

 

顕証寺に伝わる蓮淳師御度牒

顕証寺に伝わる「蓮淳師御度牒」

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約500年の時を越えて

蓮淳師が生きた時代から、およそ500年。

町の姿も人々の暮らしも大きく変わりましたが、「顕証寺」という寺号は受け継がれ、その周囲には久宝寺寺内町の面影が残り、今も本堂には人々が集ってお念仏申しています。

蓮淳忌法要では、蓮淳師を偲ぶとともに、その長い歩みの中で受け継がれてきた仏さまのみ教えを、私たち自身が聞かせていただきます。

9月11日、顕証寺本堂へ

顕証寺の歴史に興味のある方も、久宝寺寺内町に興味のある方も、
これまで本堂に入ったことのない方も、どうぞお参りください。


令和8年9月11日(金) 午後2時より

久宝寺御坊 顕証寺 本堂

どなたでもご自由にお参りいただけます。
事前のお申し込みは必要ありません。

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